緑の学校 その

源実朝の金槐和歌集の花と緑

 

10月29日、月曜日、晴れ。

今日は、湯浅先生の今年度の最終講義の日。

 

鎌倉幕府三代将軍・源実朝が編纂した『金槐和歌集』の歌をとりあげて、

古の鎌倉の景観や地形、自然環境について考えてみました。

 

 

「鎌倉〜室町〜江戸時代を通して39人の将軍がいたなかで、

自ら歌を詠み、歌集まで編纂したのは源実朝ただ一人」。

 

鎌倉というと頼朝ばかりが注目されますが、

歌集を編纂した将軍という存在は、世界にもあまり例がないそうです。

 

 

12歳で将軍になった実朝は、母・政子や北条の人々の言いなりでしたが、

生涯に3つ、自分の意志を通したと言います。

 

1つは、大船を造って宋へ渡ろうとしたこと。

2つは、頼朝が嫌った天皇からの官位を受けたこと。

3つは、母・政子に逆らって京からの嫁を迎えたこと。

 

820年以上前の人とはいえ、今に通じるものを感じます・・・。

 

 

『金槐和歌集』とはどういう意味でしょうか?

 

湯浅先生によりますと、「金」は鎌倉、「槐」はエンジュの木。

エンジュは中国では大臣でなければ家に植えることができなかった木で、

天皇から右大臣の官位をもらった実朝を表す――

つまり「鎌倉の右大臣実朝の和歌集」ということだそうです。

 

 

湯浅先生は、「実景を詠んだ歌は、古環境、古地形の一級の史料だ」とおっしゃいます。

 

今回は、歌に詠まれた植物のなかで、「マツ」に注目しました。

 

〜鶴岡仰ぎて見れば嶺の松 こずゑはるかに雪ぞつもれる〜

〜八幡山木たかき松にゐる鶴の はね白妙にみ雪ふるらし〜

 

当時の八幡宮の山の上には背の高い松がしげっていた・・・。

 

現在の照葉樹を中心とした植生とはずいぶん違っています。

 

「たかき松にゐる鶴」は、ツルではなくコウノトリとのこと。

足の構造上ツルは木のてっぺんにとまっていることができないのだそうです。

コウノトリの食性から、八幡宮の周辺には多くの田んぼがあったことが

推測できるとのことでした。

 

 

〜出で去なば主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春を忘るな〜

 

実朝が甥の公暁に暗殺される日に詠んだ歌も紹介されました。

 

武士の時代、その頂点にありながら、「文」に対する強い憧れと感受性を持った実朝。

 

湯浅先生のお話に誘われて時代を遡り、鎌倉時代の自然や景観、

そして実朝という一人の若者を垣間見たような感覚を覚えました。

 

湯浅先生、今年度も貴重な講義をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 


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